イスミの仮想現実滞在録

バーチャルYoutuberへの愛を込めて。

ある日突然何かが創れるようになる魔法なんて存在しない、という話。

──ファンアートデビューに挑戦し、どうしようもない挫折に直撃する。そんなありふれた体験が産んだ、感情たちの記録です──

 

 

・はじめに、感謝の意を込めて

 

 こんばんは、鷲見イスミです。

 

 前回更新した前編で、予想を上回る反響を頂きまして、もう心から感謝申し上げます……!!中編、後編につきましても、時間ができ次第形にしていこうと思っています。本当にありがとうございます!

 

 

 さてさて、いろいろ思うところがあって今夜は筆を取りました。

 

 全鷲見家待望の中編?色めき立っている3Dモデリングの件?VChaseやVTuberCM、それに関する明るい話題?

全部違います。もっと、至極個人的な。

 

 私は絵が描けない人だった、という悔しさをぶつけるだけの、そんな記事です。

 

 

・案外絵が描けるのかもしれないと、まぁ、調子に乗っていたんです。

 

アイコンの時は上手くいったんです。

 

 これは本当に本当の話。今私のブログのトップにいるイスミを描いていた時、それはそれは楽しかった。前編にあったような『趣味の履歴書』から、今まで好きだったキャラを10人単位でピックアップし、さらに厳選。パーツをいろいろくっつけて、顔を描き、胸像を描きあげました。

 目や髪の毛、シャツのシワや体の向きなど、描き方に詰まる度に都度模索したり見本を探したりして、結構納得のいく仕上がりまで持っていけました。

 

 いやぁ、くっそかわいくないですか?軽率なファンアートお待ちしてますよ?

 

 

・どうして上手くいったのかを、知る必要がなかった。

 

 アイコンを描く時のコンセプトとして、とりあえず後に続かなくていいから、どうにかひとりを完成させよう、と決めていました。それで実際、アイコン/アバターとしての機能には十二分に事足りましたし、苦手な色塗りはAIに任せられたのも大きく、トライ&エラーの末、納得のいくものが出来たんです。

PaintsChainer -線画自動着色サービス-

 

 徐々に形が整っていくのを肌で感じるのはとても楽しい経験でしたし、なんなら、“案外イラストを描くのも難しくないから、思いきってトライしてみよう!私が上手くいった方法を紹介します♡”みたいな記事を上げる予定でしたからね。マジで。

 

──で、です。

 

 

・ファンアートに挑戦して、木っ端微塵に玉砕しました。

 

 とあるVTuber様から、ファンアートを描いて欲しい、という話になりまして。ちょうど誕生日も控えていらしたので、よし、いっちょやってみるか、と思ったのですけど。

なんだかもう、根本的に、絶望的に、ダメでした。

見れば見るほど手直ししたくなるし、修正すれば修正するほどどこかおかしくなっていく。何より、誕生日という期限を決めていたことと、完成させるという経験が足りなさすぎたということ。

具体的には、あのPVに出てくるイラストっぽい雰囲気を描いてみたいなぁ!という、身の程知らずな構想の段階から、歯車は狂っていて。

 

 とにもかくにも、どうしても見せられないなぁ……というイラストが、出来上がったのです。

 

 

・下手でもいいから見せてくれ、って言いますよね。

 

 

 はてな匿名ダイアリーにこんな匿名ならではの記事がありました。

 

 あれだけ好きだったVtuberに冷めてしまった

じゃあお前も絵を描けばいいじゃんという話だが、自慢じゃないが自分はピカチュウを描いて10人に見せて3人がピカチュウと認識出来るレベルの画力なので、ファンアートなんて投稿しようものなら

Vtuberがコメントに困りながら「独創的ですね」みたいな気まずい返事をされる事だろうと思い、描けなかった。

 

 

 ファンアートを描ける人に対して産まれてしまう、絶対不可避の嫉妬の感情。一方で、追記でも言及されていますが、この“広大な海へ投げた手紙”への反応で大きな割合を占めていた、『どんなファンアートでも嬉しいですよ!!』というVTuberからの激励。

 

 私がたった今痛いほど共感しているのは、筆者の『描けない』という悔しさ。

 

違うんです。

申し訳なさから見せられなくなるファンアートって、存在するんですよ。

そこにはきっと、一生懸命以外に、背伸びと、驕りと、過度な設定とが混じり過ぎているからかもしれません。

 下手とか以前の問題で、こじらせてしまったものって、どうしても人前に出せないのです。

 

 

・失敗をする、というごく当たり前の特効薬。

 

 やっぱり失敗しないとわからないものです人生。

今回の私の挫折から学んだものは、凝りすぎこそが最大のハードルだ、という点。もっとシンプルな構図で、それこそ鉛筆ラフ風にすれば良かったと。もっとハードルを意識して下げて、今の技術なりに見栄えのする描き方を考える……そこから始めるべきだったと。

 

 でも、そういう次への反省や調整って、上手くいったものの直後では出てこないじゃないですか。だから、きっと大切な時間だったのだと思います。

そして何より、どうしても絵が描けない人達の気持ちも、今なら心の底から理解することができる。そんな一日になりました。

 

 休日を潰したのに何も創りあげることが出来なかったけれど。

 決して無駄ではない足掻きだったんですよ、と。そう書き留めておきたかったのです。

 

 

──ゼロから始める創作の旅は、まだまだ続きそうです。

 

 

・終わりに

 

 やっぱりというか、描くより書くの方があってるように感じます。描けないストレスを長時間抱えたからこそ、文章で開放したときの爽快感というか。

短時間でぶわっと書き上げたこの記事は、私の中で自信と経験のひとつになりました。そういう意味でも、今日という日は無駄ではなかったんです。

 

 いつか、この失敗から学んだことを、きちんと整えて皆様にお見せできれば、それこそ“創作できない側から背中を押す”という、このブログの主旨に沿った記事ができるのではと感じています。

ファンアートも、焦らず、自分のペースでちまちま描いていこうと思います。こうして文章に書き留めておくと、自然とそういう前向きな気持ちになれるんです。

 

 

いやぁ、絵を描くって、本っ当に難しい!

 

 

鷲見イスミでした♡