イスミの仮想現実滞在録

バーチャルYoutuberへの愛を込めて。

Virtual Beingsという名前に、救われるかもしれない存在達の話。

——現実のアイドルが、普通の女の子に戻るように。VTuberを引退した先に、フツウの存在を表す言葉があって、それが全てのVTuberの選択肢として存在するような——

 

 

・はじめに

 

 お久しぶりです。鷲見イスミです。

 

 しばらく離れたり、年末に戻ってきたり、私自身の腰の重さもあって記事を書き上げる熱量がなかなか生まれないまま、前の記事から8ヶ月……。

 つい先日目に飛び込んできたVirtual Beingsという単語と、ぞくぞくと湧いてきた想像達、それらに強烈に背中を押されて、筆を走らせています。

 

 新しい言葉が上位レイヤーとなり、今の言葉や存在をすっぽりと内包できたとしたら。

 そのことで、どれだけの人が救われるのでしょうか。

 

 今回はそんな、いつかの未来の話にお付き合い頂ければ幸いです♡

 

 

バーチャルYoutuber という単語の功績と、拭えない違和感の話。

 

 それでもバーチャルYoutuberという言葉は間違いなく、偉大なものです。それは、素のままでは世に出なかったかもしれない才能、新しいことに飛びつける嗅覚を持った才能、誰かと交わることで良さが滲み出るような才能……てんでばらばらの文化をたった一つの単語のもとにまとめあげ一つの文化圏として今なお目映いばかりの煌めきを保ち続けているからです。

 言葉の意味は世論によって変わっていくものですから、VTuberたちの配信先がMirrativだったりSHOWROOMだったりOpenRecだったりしても、その意味は時間とともに徐々に薄れています。

 

 ただし、Youtuberに焦点をあてるとなると話は少し変わってきます。そこに動画投稿と、その内容、頻度、エンタメ性、あるべき姿ともいう感覚が生まれてしまうから。Youtuber的活動をする責務と言い換えたり、もしくはupd8の提唱するバーチャルタレントという単語と見比べてみてもいいでしょう。バーチャルYoutuberとして、何をすべきなのか。この単語と向き合うことそのものが、今日も何処かで誰かを悩ませ続けています。

 もしも、先をひた走っていた偉大なカリスマたちと、後から追っていった個人企業の果敢な努力が存在した平行世界があったとしても、この呼称が存在しなかったとしたら、今のような連帯感もごった煮感も成長速度もあり得なかったでしょう。界隈を繋ぎ支えているバーチャルYoutuberという単語の功績。それ故に、簡単に代わりの言葉で振り切ることのできない名前。

 

 Virtual Youtuberは、必ずしも“バーチャルなユーチューバー”ではないながら、“バーチャルユーチューバー”という単語に新しい意味を内包し続けながら、今もがむしゃらに走り続けているのです。

 

 

・Virtual Beingsの響きに、ときめいた話。

 

 Virtual Beingsという単語が日本に上陸して一週間。その元来の意味と一連の流れは、以下のリンクからが分かりやすく、とても詳しいです。

note.mu

 この記事から数日、今ではこの

1.Virtual Beings の魂はAI

 という発祥元の意味を踏まえつつも、ここ日本でのVTuberたちや、もっと広い存在も表せる言葉に変わっていけるのか、という議論が尽きません。

 

 一つ上のレイヤーを表す単語として、バーチャルタレントバーチャルライバーVの者などの言葉が既にあります。それとは別の次元で私がこの単語に惹かれたのには、日本人の心理として、自分たちが編み出すよりも外から名前をつけてくれる方が定着しやすいんじゃないかということと、シンプルにHuman BeingsとVirtual Beingsの対比が美しい、という2つの理由があったからです。

 

 なので、いよいよ本題。

  Virtual Beingsという単語がVTuberをも内包して広く浸透した世界があったとして、

  • ①どんな新しい存在がバーチャル世界に産まれ
  • ②逆にVTuberという単語は何を差すようになり
  • ③誰がこの言葉によって救われる(かもしれない)のか

その3つを、順を追って想像してみましょう。

 

 

①スポットライトを浴びるかもしれない存在に、夢を馳せる。

 

 誰でもVTuberになれる世界は既に到来してしまっています。身体を作り、声を変え、トラッキングをして、配信をしたり動画を投稿したり。それらがスマホひとつでできるようになり、しばらく経ち。Twitterのアイコンひとつとっても、3D2D問わず無限×無限通りの組み合わせで自分の“好き”を表現できるようになっていて。

 VRChatで過ごし自分を表現する人たちも日々増え続け、進化し続けています。また別のところでは、1年前では考えられなかったような中の人をタブーとせず現実と仮想空間を自由に行き来する人たちも少しずつ見られるようになっていませんか?

 

 Virtual Beingsという言葉が浸透したとしたら、そういう動画を投稿しないだけのバーチャルな存在にカテゴリが与えられることになるんです。

 

 あくまでVTuberは動画/配信/チャンネルありきの存在でしたが、Virtual Beingsという上位の単語がその高い高い壁を取っ払ったとき、そこにはもっともっと多くの才能、好きを形にしたい層が、同じ呼称のもとひとつの連帯感を持てるようになる。

 片方がVTuberとして動画を投稿し、もう片方はそれを楽しみ、感想を言い、ファンとして交流し、ファンアートを描き、あるいは記事を綴る——そんな両者が同じバーチャルな存在としてフラットに存在し、交わったり交わらなかったりする。

 

 誰でも成れる時代が到来しつつあるからこそ、その動画投稿という大前提が崩れたときに、ただVTuberになることだけを尻込みしている表現者達やファン達を、同じステージに引き上げてくれるのでは、と思うのです。

 

 

 ②その時VTuberは、どんな役割を担っていくのか。

 

 さて。VTuberという単語に課せられていた、バーチャルな存在全てを表せ!という肩の荷が下ろされた時、この言葉はどんな意味に変わっていくのでしょうか。

 これに関しては先ほどの引用記事から

 2.Virtual Beingsが行う仕事はVTuber的なタレント業に限らない

 の裏返しを考えながら、想像していきましょう。

 

 Virtual Beingsがタレント業以外の機会、業種、活動、あるいは単純なファンを内包して広まっていくとしたら、その流れに反比例するように、VTuberのバラエティ的、エンターテイナー的価値が高まっていく

 つまり、現実世界で言う、芸能人、タレントなどの言葉から受けるような感覚が強くなっていく。さらに、自己申告制の流れが強まったり、目指すべきエンターテイメント性が定まって、団結力が今以上に高まるかもしれません。

 水面が下がれば山々が際立つように、バーチャルの裾野が広がることで、VTuberを名乗る/名乗ろうとする人たちの努力が、その名乗りそのものから見えるようになったら、素敵ではありませんか?そしてその潮流とは別のところで、バーチャルアーティストであったり、バーチャルシンガーであったり、もっと別の、自分の活動を端的に表す名前——そんな“山々”が、同じ地続きの平野の中で顔を出すようになったり。

 

 バーチャルYoutuberYoutuber、あるいは動画投稿者/配信者としてクオリティを追求し、日々視聴者を楽しませていく。そんな存在達を表すような単語へと、分かり易く洗練されていく、そんな未来を夢想します。

 

 

③Virtual Beings という呼び方は、誰を救うのか。

 

 前述したのは、今後バーチャルな存在になっていく新しい層と、今後さらにタレント性を高めていく層。そこにもうひとつ、Virtual Beingsが産む新たな需要があります。

 それは、VTuberであることに疲れてしまった人たちを軽々と救うのでは、と、思いついてしまいました。

 

 何かの才能を抱え、それをユーチューバーという方法で売り込んでいったとして、性格、頻度、クオリティ、すべてがうまく合致するわけではありません。もちろん今でもなおVTuberであることは大きな宣伝になりますし、大波に乗ったからこそ陽の目を見た存在を、何人も見てきました。

 でも、もし、何らかの理由でその大波に乗ることに疲れてしまったら。

 あるVTuberが動画投稿を止め、Twitterの更新を止めたとしたら、周囲の人にはもうその存在を観測することはできません。残酷に言えば、Twitterの更新が永遠に止まることは存在そのものの死と同じです。芸能界を引退したら普通の人として生きていくのに、VTuberを引退したら、存在が見え無くなってしまうって、なんだか不公平じゃありませんか?……なので。

 

 バーチャルである、ということに、名前を付けませんか?

 

 歌を歌ったり、絵を描いたり、遊び場を提供したり、グループをプロデュースしたり、番組のディレクターになったり。そういう活動を、バーチャル世界でバーチャルの身体を纏って行う、あるいは、現実の体を堂々と持ちながらバーチャルにもちょろっと籍を置く。そして、そんな存在にVirtual Beingsという名前がつく。時たま、VTuber的活動をするけど、また疲れたら戻ってきて、引退したけどコラボにお邪魔して……動画投稿という無言のハードルが消え、Virtual Beingsという大きな大きな受け皿が現れたとき、表現者たちがのびのびと気楽に自分を表せる世界が来るのではないでしょうか。

 

 動画投稿という表現方法=VTuber/バーチャルタレントという方法が、存在非存在の基準ではなく、あくまで宣伝や表現の手段になる。広い裾野を持つ言葉が産まれるということはそれだけで、表現者達の息苦しさを取り除くのではないか、と。そんなことを考えてしまいます。

 

 

・終わりに

 

 熱に浮かされるように、駆け抜けてきたこの記事。

 名前が産まれるとは、そこに帰属意識を産むということ。VRCで過ごす、コメントをする、Twitterで呟く、ファンアートを描く、ブログを書き殴る……そんな自分のカテゴリを正しく認識する前と後では、その自分の表現に対する自信と楽しさが何倍にも膨れ上がる。それが、呼称の持つパワーです。

 

 既にバーチャルYoutuberの枠をはみ出して活動する存在、逆にはみ出しているが故に帰属意識を持てない存在。Virtual Beings(あるいは、この先に産まれる新しい呼称かもしれませんが)、という言葉が、そんな存在を包み込んで救い上げるようになったら。

 様々な理由で去っていった、あるいは活動休止に入っていく彼女達に、幾許かの安心感を与えられるんじゃないか、と、そう信じています。信念をもとに道を違えていく彼女達が、ふらっと帰ってくる先。そこが確かに、広い広い懐の中にある、みんなと同じ世界でありますように。

 

 Virtual Beingsという、大きく広がる新しい表現の世界への、緩やかな変化——それを願ってやまないのです。

 

 

以上、お久しぶりでした。鷲見イスミでした♡

 

“大好き”を持て余したままの、VTuberファン達へ─中編─

──何かを創るというベクトルとはまた別のアプローチ。想いを“形に遺す”ことのご提案──

 

 

・はじめに

 

 こんにちは、鷲見イスミです♡

 

 中篇という扱いにはなりますが、3編構成にも関わらずタイトル変更です。前編で使用してしまった、"何者にもなれない"という言葉の劇薬。コレ、けっこうな人に深く深く突き刺さってしまう言葉だったのかなぁと、安易に使った自分に反省しております。

 

 さて、中篇からのご提案。それは、あなたの溢れ出る想いを見たがっている人が、この世界にはたくさんいるんですよ、というお話です。私自身の後押しになったオススメのリンク紹介も添えて、この記事を贈ります。

 

 さぁ、皆様。気楽に、気軽に、ペンをとってみませんか。

 

 

・きっかけは、『お前もオタクなら好きなものをべた褒めする長文を書きやがれ』というエントリ。

 

 かなりのオススメです。さくっと読めるのでぜひみて欲しい。こちらのリンクから。

 

 

お前もオタクなら好きなものをべた褒めする長文を書きやがれ|まきちゃん|notenote.mu

 

 どうですか?なんだか、自分の好きなものについて、語りたくなってきませんか??

 今でもたまに開きたくなります。この文章の前に洒落た言葉は無用。小難しいこと大好きな私には絶対に書けない文章のスタイル。

 それでも、この一語一句が、いつだって私に勇気と動機をくれます。

自分の好きなものに対する気持ちを書いていくのは何よりも楽しい。自分の好きという気持ちを再確認できるからだ。加えて、自分ってこんなにも愛を語れる熱いオタクだったんだ…という自信もつく。つまりプラスしかない。

 ネガティブでどんよりした空気が蔓延るこのネット世界を、ポジティブな言葉で埋め尽くしてやる!そんなエネルギーを感じるんです。

 

 私は、長く残る記事という形だからこそ、愛してやまないVTuberについて語り明かして、遺して欲しい、と思っています。大小問わず、大好き!♡だけがもつパワーで、塗りつぶしてほしい。

 

 

・誰しも向き不向きがあるからこそ、読みたいんです。

 

 ファンアートが千差万別なように、誰かが書いた文章にも、個性が生まれます。私は、その滲み出る個性で彩られた、“大好き”が見たいです。

 例えば、上記のエントリ。心を動かされたにも関わらず、私がその通りに書けるかと言えばそうではなく……。簡単な言葉でビシッと書くって、私にとっては凄く苦手なことでして、いつもTwitterでは文字制限と戦っていますし。つまるところ、誰かと全く同じ空気を纏った文章なんて、誰にだって書けやしないんですよ。

 さらに言えば、みんな毎日少なからず、なにか文字を書くっていう行為をしているじゃないですか(イラストとかと比べて)。だから、何も解らなくてもとりあえずありのまま書いて!!!ということも提案しやすい。だってそこには、いつも通りが宿るから。

 

 絶対に私では書けない、あなたの語りたいスタイルで紡ぐ、言葉が見たい。そう、心から思うわけです。

 

 

・VChaseというプラットフォームのススメ。

 

 当初作成していた下書きでは、ここには「個人ブログでも気軽に始めてみようよ!」みたいなことが書かれていまして。実際、個人でブログを開設したり、それ以外の媒体で、文章による好きを表現している人はいっぱいいるわけなんですけど。まぁ、ハードルは低いほうが良いわけです。

 

 VChaseって、ご存知ですか?

 VCHASE | VCHASE

 

 

 

 まだまだβ版。日々アップデート中ですが、私はずっとずっと、このVChaseというサイトとその信念を全面的に応援しています。

 

 何より、バーチャル世界に特化しているからこその、どんなジャンルの記事を書いても大丈夫という懐の深さ。VTuberを追うという目的だけでなく、考察なり、事件なり、追い方や紹介の仕方そのものだったり、本人による紹介だったり。

 ブログを始める不安と労力をすっ飛ばして、書きたいことが一ヶ所に集約されているって、ほんと夢のような場所になりそうだなぁって感じています。

 著者/VChaserが増えれば増えるほど、その場所自体の魅力が増すタイプのキュレーション(情報収集型)サイトです。ぜひ、あなたの愛してやまないVTuberをひとりふたりほど携えて、この場所に足を運んでみて欲しいんです。その人やジャンルのことがわかる人って、案外少なくて。その人のことを知りたい人って、結構います。

 

 VChaseって何?って記事から、

VCHASEって、何? | VCHASE

 紹介記事の書き方まで。

Vtuber紹介記事の書き方! | VCHASE

 なんでも揃っている、これから揃いそうな予感がする、そんなサイトです。

 

 ひとりでも多くのVChaserが誕生しますように。きっと、この世界を網羅する大きな大きな情報集積所になると、そう信じています♡

 

 

・自分にしか書けないこと?いいえ、自分“でも書ける”でいい。

 

 好きなVTuber、好きなVTuber界隈に対して、何かしらアクションを起こす。それは、影響を受けて自らもVTuber/Vツイッタラーとしてデビューするのを究極の例として、ファンアートやクソコラなど二次創作を贈れる人もいるでしょう。もちろん、Twitter上で応援を呟いたり、動画にコメントを残したり、配信中にコミュニケーションを取ったりもそう。バーチャル専用のTwitterアカウントを作る、ということもアクションかもですね。

  記事を書く、という手段は、あくまでその延長線上でいいと思います。でも、今までコメントやツイートの刹那的な感想しかしなかったファンが紹介応援記事を書いてみる、となったら、それは形に遺す、という点で大きな変化になります。

 

 特別な書き方なんて必要ないんです。文章を書いてみる、という一歩。それだけで、何も遺せなかったファンにとっての、大きな一歩に成っていくのだと、そう思います。

 

 

・この目映くも美しい、“優しい世界”のために。

 

 「VTuber追えない!!」と叫ばれて、久しいですね。界隈でも、とある事件を引き金に、無視できないほどの不穏な空気が漂っています。VTuberの定義、コメント欄のあるべき姿、優しい世界とはなんなのか、etc.etc…

 私といえば、わりと『そんなことより好きなものについて語りましょうよ♡♡♡』というスタンスに近く、触れないことでほんの一ミリでも世界が明るくなればなぁと思うタイプ、なのですが。

 

 それでも少しだけ挫けそうになった今日このごろ、この記事に出逢いました。

 

優しい世界は0から。架空の中に作られたbastin.moo.jp

どうか、最初の気持ちを思い出してほしい。

vtuberを好きになったのは何故か? その最初の気持ちが、嘘偽りないあなたの初心です。これをどうか思い出してほしい。

 

 優しい世界という言葉への感じ方は様々でしょう。ただ、この記事には、VTuberに対する忘れかけていた気持ちを思い出させるパワーがありました。そう、いつだって、私達は彼ら、彼女らの眩しい背中を見て、追いかけて、時には押して、歩んできたんです。

 

 いつも元気や楽しさをわけて貰っている彼ら、彼女らに、何かをしたい。これまで紹介したものや、言葉を読んで、そう少しでも気持ちが動いて頂けたのでしたら。

 

 今まで通りでも。その一歩先の手段でも。

 

 バーチャル世界をほのかに照らす、何かが遺してほしいと、世界の片隅で切に願うのです♡

 

 

・終わりに

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 本当は後編に持ってくる予定の内容でしたが、VChaseβ版の始動があり、前記事のちょっとした壁への激突もあり、情勢に合わせてこちらの内容をお届けする形となりました。

 

 もやもやと考えていることは未だぽつぽつと存在します!うまく紡いで、まとめられればと思います。アバターとか、デビューとか。

 

 

──では、後編に続きます。

 

乞うご期待!♡

 

鷲見イスミでした♡

 

 

ある日突然何かが創れるようになる魔法なんて存在しない、という話。

──ファンアートデビューに挑戦し、どうしようもない挫折に直撃する。そんなありふれた体験が産んだ、感情たちの記録です──

 

 

・はじめに、感謝の意を込めて

 

 こんばんは、鷲見イスミです。

 

 前回更新した前編で、予想を上回る反響を頂きまして、もう心から感謝申し上げます……!!中編、後編につきましても、時間ができ次第形にしていこうと思っています。本当にありがとうございます!

 

 

 さてさて、いろいろ思うところがあって今夜は筆を取りました。

 

 全鷲見家待望の中編?色めき立っている3Dモデリングの件?VChaseやVTuberCM、それに関する明るい話題?

全部違います。もっと、至極個人的な。

 

 私は絵が描けない人だった、という悔しさをぶつけるだけの、そんな記事です。

 

 

・案外絵が描けるのかもしれないと、まぁ、調子に乗っていたんです。

 

アイコンの時は上手くいったんです。

 

 これは本当に本当の話。今私のブログのトップにいるイスミを描いていた時、それはそれは楽しかった。前編にあったような『趣味の履歴書』から、今まで好きだったキャラを10人単位でピックアップし、さらに厳選。パーツをいろいろくっつけて、顔を描き、胸像を描きあげました。

 目や髪の毛、シャツのシワや体の向きなど、描き方に詰まる度に都度模索したり見本を探したりして、結構納得のいく仕上がりまで持っていけました。

 

 いやぁ、くっそかわいくないですか?軽率なファンアートお待ちしてますよ?

 

 

・どうして上手くいったのかを、知る必要がなかった。

 

 アイコンを描く時のコンセプトとして、とりあえず後に続かなくていいから、どうにかひとりを完成させよう、と決めていました。それで実際、アイコン/アバターとしての機能には十二分に事足りましたし、苦手な色塗りはAIに任せられたのも大きく、トライ&エラーの末、納得のいくものが出来たんです。

PaintsChainer -線画自動着色サービス-

 

 徐々に形が整っていくのを肌で感じるのはとても楽しい経験でしたし、なんなら、“案外イラストを描くのも難しくないから、思いきってトライしてみよう!私が上手くいった方法を紹介します♡”みたいな記事を上げる予定でしたからね。マジで。

 

──で、です。

 

 

・ファンアートに挑戦して、木っ端微塵に玉砕しました。

 

 とあるVTuber様から、ファンアートを描いて欲しい、という話になりまして。ちょうど誕生日も控えていらしたので、よし、いっちょやってみるか、と思ったのですけど。

なんだかもう、根本的に、絶望的に、ダメでした。

見れば見るほど手直ししたくなるし、修正すれば修正するほどどこかおかしくなっていく。何より、誕生日という期限を決めていたことと、完成させるという経験が足りなさすぎたということ。

具体的には、あのPVに出てくるイラストっぽい雰囲気を描いてみたいなぁ!という、身の程知らずな構想の段階から、歯車は狂っていて。

 

 とにもかくにも、どうしても見せられないなぁ……というイラストが、出来上がったのです。

 

 

・下手でもいいから見せてくれ、って言いますよね。

 

 

 はてな匿名ダイアリーにこんな匿名ならではの記事がありました。

 

 あれだけ好きだったVtuberに冷めてしまった

じゃあお前も絵を描けばいいじゃんという話だが、自慢じゃないが自分はピカチュウを描いて10人に見せて3人がピカチュウと認識出来るレベルの画力なので、ファンアートなんて投稿しようものなら

Vtuberがコメントに困りながら「独創的ですね」みたいな気まずい返事をされる事だろうと思い、描けなかった。

 

 

 ファンアートを描ける人に対して産まれてしまう、絶対不可避の嫉妬の感情。一方で、追記でも言及されていますが、この“広大な海へ投げた手紙”への反応で大きな割合を占めていた、『どんなファンアートでも嬉しいですよ!!』というVTuberからの激励。

 

 私がたった今痛いほど共感しているのは、筆者の『描けない』という悔しさ。

 

違うんです。

申し訳なさから見せられなくなるファンアートって、存在するんですよ。

そこにはきっと、一生懸命以外に、背伸びと、驕りと、過度な設定とが混じり過ぎているからかもしれません。

 下手とか以前の問題で、こじらせてしまったものって、どうしても人前に出せないのです。

 

 

・失敗をする、というごく当たり前の特効薬。

 

 やっぱり失敗しないとわからないものです人生。

今回の私の挫折から学んだものは、凝りすぎこそが最大のハードルだ、という点。もっとシンプルな構図で、それこそ鉛筆ラフ風にすれば良かったと。もっとハードルを意識して下げて、今の技術なりに見栄えのする描き方を考える……そこから始めるべきだったと。

 

 でも、そういう次への反省や調整って、上手くいったものの直後では出てこないじゃないですか。だから、きっと大切な時間だったのだと思います。

そして何より、どうしても絵が描けない人達の気持ちも、今なら心の底から理解することができる。そんな一日になりました。

 

 休日を潰したのに何も創りあげることが出来なかったけれど。

 決して無駄ではない足掻きだったんですよ、と。そう書き留めておきたかったのです。

 

 

──ゼロから始める創作の旅は、まだまだ続きそうです。

 

 

・終わりに

 

 やっぱりというか、描くより書くの方があってるように感じます。描けないストレスを長時間抱えたからこそ、文章で開放したときの爽快感というか。

短時間でぶわっと書き上げたこの記事は、私の中で自信と経験のひとつになりました。そういう意味でも、今日という日は無駄ではなかったんです。

 

 いつか、この失敗から学んだことを、きちんと整えて皆様にお見せできれば、それこそ“創作できない側から背中を押す”という、このブログの主旨に沿った記事ができるのではと感じています。

ファンアートも、焦らず、自分のペースでちまちま描いていこうと思います。こうして文章に書き留めておくと、自然とそういう前向きな気持ちになれるんです。

 

 

いやぁ、絵を描くって、本っ当に難しい!

 

 

鷲見イスミでした♡

 

 

何者にもなれないままの、VTuberファンたちへ─前編─

──VTuberの眩しいエネルギーにあてられて、それでも何から始めたらいいかわからない、そんな同志たちへ──

 

 

・はじめに

 

 お久しぶりになりました、鷲見イスミです。

 

 ブログをえいやっ!と開設だけして、早、一ヶ月……一ヶ月!?書きかけのGW関連の記事も、大好きなVTuber紹介記事の下書きも、一旦全部おいときましょう。

 

 一ヶ月考えていたこと。それは、ブーム真っ只中のバーチャル世界を目の前に、勇気を持って踏み出していく多くの新人達を横目に、自分も何かをしたいとぼんやり考えながら、それでも何をしたらいいかわからない、そんな少し前の私のような人達への、エールです。

 

 挫折と奮闘の物語の第一編、どうぞお付き合い頂けると幸いです♡

 

 

・VTuberは、未だ創作クラスタの手の中にある、という大問題。

 

 これは、日々ひしひしと感じることのひとつ、です。絵が描けること。小説が書けること。動画が作れること。モデリングができること。VTuberとしてデビューするにはもちろんですが、それを応援するファンとしても、描ける、書ける、作れる、という技術の恩恵は、言うまでもなく大きいんです。

 それだけが応援の手段ではない、他のやり方もある、というのは重々承知です。ですが、嫉妬というべきか、後悔というべきか、そういう人生を歩んでこなかった自分と、そうでない人との溝に、落ち込む期間があったことも、また事実。恐らくは、乗り遅れることへの恐怖、何も持っていない自分への不安も、そこには含まれていたのでしょう。

 

 そういった創作する側に一切関わってこなかった同志が、きっとたくさんいるんではないか、と思っています。

 

 

・何かを創作するのに、実は技術は要らない。

 

 VTuber全員が全員絵描きの天才、とは言いません。この世界にだって、自らが描いたイラストや、自らが作ったモデルを使用せずに、堂々と最前線で活動されているVTuber様はいますから。ですが、絵が描けないから……という理由だけで身体をつくってもらえるほど、世間は甘くない。

 VTuberを創るに限らず、創作に必要なものって、何かを創ろうとするエネルギーなんですよね。技術はあるに越したことはありませんが、それだけでは決して立ち居かない。表現したいもの、やってみたいこと、まずはそのエネルギーがあれば、自分に足りないものを習得しようと思える、もしくは、必要な助けを周囲に求めることもできる。

 

  だからこそ、何かを創れる情熱を持った人たちと、そうでない自分との、温度差にやきもきしたのです。

 

 

・"被"創作クラスタとしての半生を振り返る。

 

 何もしてこなかった、と言いますが、別にサブカルな趣味に時間を費やさなかったわけでは、ありません。ゲームも色々手を出したし、アニメもかなりの時間を費やしたし、漫画だって数えきれないほど読みました。それに伴って、実況やMADの動画を見にいったり、SSを読んだり、同人誌だって買いにいったりも。自信を持って、私の趣味の中の、オタク的要素が占める割合は、限りなく大きいのです。

 そして、普通に人生を送っていれば、それを後悔することなんてあるはずなかったんです。MMDを動かして面白いことをする人、旬のネタを活かしてすぐSSを上げる人、そういう別世界の人種と、それを楽しむ私達がいる。それだけのことでした。

 

 ──そう、VTuberという世界に飛び込むまでは。

 

 端的に言えば、この世界はVTuberとファンとの双方向性の面白さが、大きな割合を持っていますよね。なので、デビューを目指すなら当然のこと、応援する側も、なんらかの創作力を持っていた方が、本人たちからのアプローチが増える、というわけです。

 でも、それに気付いた私の第一歩は、イラストの、モデリングの、勉強を始めること……ではありませんでした。

 

 

・今までのめり込んだコンテンツを、ひとしきり並べる時間。

 

  何も持っていないことへの後悔に暮れた私が取り掛かったのが、この虫干しの作業です。今までの人生で好きだったこと、ハマったこと、のめり込んだこと、全部とりあえず掘り出してみました♡

 

 例えば、ひぐらしうみねこにハマっていたあの頃、日本の怪異や西洋の悪魔、平行世界や思考実験について調べまくったなぁ、とか。

 例えば、作品としてストーリーを残すことはなかったけど、人狼とか、ウミガメのスープとか、日本語で文章を書く鍛練は、そういうゲームの中で覚えたなぁ、とか。 

 例えば、オンリー即売会に参加するレベルで好きだったモバマスラブライブも、キャラクター達の眩しい個性と、そこから産まれる関係性に、いつだって惹き付けられていたなぁ、とか。

 例えば、今の性癖に影響するアニメを何本も見たし、それについて毎年毎クール語り明かしたなぁ、とか。

 例えば、好きな動物、好きな髪型、好きな音楽、好きな声優、好きな×××、好きな二次創作。

 

 この作業は、上述した創作するエネルギーを捻出するにはうってつけでした。これなら語れる。これなら描きたいと思える。これなら、面白いことができそう……♡

 決して空白だったわけではない、私の半生を浮き彫りにしてみて。私を構成していたてんでバラバラの要素が、これから"鷲見イスミ"をはじめ、バーチャルの活動の礎になりそうな予感を、感じることができたのです。

 

 

・リアル世界における学歴のような、バーチャル世界における"サブカル歴"。

 

 バーチャル世界においては、顔やスタイルの良さはイラストやモデリングの技術であり、運動やスポーツの能力はトラッキングの技術や物理演算能力と類似しています。内面的な魅力の一部には、世界観の構成力や表情による感情の表し方、なども含まれてくるでしょう。 

 つまり、つまりですよ。今までリアルの世界で積み上げてきた、学歴や職歴、対人関係と反対に、新たにこのバーチャル世界で戦うための、自己評価基準が必要になるのです。

 もちろん、今の仕事や学業を武器にするもよし。ですが、人格を産み出すにはそれ一本では少し弱い。

 特に、ゼロから創作を始めようと思い立った私のような初心者にとって、好きなもの、全部詰め込んでおかないと、きっと楽しく続かないと思うんです。

 

 つくってみませんか?趣味の経歴書。

 きっと、ひとりの人格を創るに足る、ヒントが転がっているはずです。

 

 

・終わりに

 

 この記事を読んでくれた方のほぼすべてがVTuberファンだと思いますし、そのうちの多くが、私のように(故意か偶然か問わず)創作を避けて生きてきた側の人たち、だと思います。

 どうでしょう、一度、VTuberなんていう創作エネルギーの塊みたいな沼にハマったよしみです。一度、自分に備わっている、いた、趣味の武器。これを期に研いで見ませんか?

 

 そして、その作業が終わったら、いよいよ重い腰を上げて、創作の沼に歩を進める時間です。何かを創るお手伝いを、"被"創作側だった私だからこそ、背中を押せればと思うのです。

 

 次回は、私自身のイラストとの奮闘記になります。乞うご期待!

 

 

 それでは、鷲見イスミでした♡

 

はじめに。

 

 

──今日が、記念すべき仮想現実での第一夜。

 

 

 初めまして、鷲見(スミ)イスミと申します。バーチャルYoutuberが好きで、バーチャルな存在に憧れて、この度、ブログを始めました。

 

 

バーチャルYoutuberという存在に、強烈に憧れて。

 

 日夜絶えることなく増え続け、ついに2000を超えようとしているバーチャルYoutuber(以下VTuber)。日々超濃密なニュースを配信し続け、胸を打つ伝説は幾度も塗り替えられ、創作は止むことを知らず、新しい世界は開拓され続け、魅力的な新人が産まれ続ける、そんな界隈です。

 その煌めく世界にどっぷりとハマっていくのに、時間はかかりませんでした。この新しい世界でなにかを成したい、なにか貢献をしたい、そんなことばかり考えながら、動画に、配信に、触れ続けてきたのです。

 

 

・最初の一歩を踏み出せないタイプの人間だった、私。

 

 実は、ブログを書こうと思い立ったのは、2ヶ月も前のことなんです。

 

 だって、分かりきっているじゃないですか!これだけ凄まじいスピードで変容し続けるVTuber界隈です。二次創作にせよ、考察の発信にせよ、それこそデビューにせよ、どんなものだって、早いに越したことはありません! 

 それでも、優柔不断で怖がりで、どうしようもなくビビりな私の性格のせいで、こんなシンプルな記事を投稿するのに、何十日も要してしまうことになったのです。

 

 

・だからこそ、この性格のまま、バーチャルな世界へ。

 

 私のようなVTuberファンは、きっと大勢いると思うんです。VTuberが、VTuberの織り成す物語が、誰よりも好きで。語りたい感動も、話したい考察も、たくさんありすぎて。それなのに、自分の中の色々な言い訳が邪魔をして、一歩が踏み出せない。

 だからこそ、最初の何記事かは、その人たちに向けて綴りたいと思っています。

 

 ここをまず、無理矢理にでも半歩を踏み出した、仮想現実に片足を突っ込んだ鷲見イスミの滞在録にしようと思ったのです。

 

 

・きっかけさえ掴めば、ハードルなんて低いほうがいい。

 

 いつかVTuberになれるかなんてわからない。何か創ることなんてできないのに、でも、何かを始めたくて。でも、その記事すら手につけることができなくて。

 だから、こうして、"バーチャルな存在としてブログを書くだけ"の記事を書いてみることにしました。

 いまは、自分でも笑ってしまうくらいの、内容なんてあったもんじゃない小さな小さな記事。それでも私は、バーチャルな存在としての日々を始めたと胸を張って言えるのです!

 

 

・謝罪と、これから。

 

  ほんとうに、乱文になってしまい申し訳ありません……

 始めるためだけのきっかけなんです。内容のないまま、この記事を終えることを許してください……

 

これからは。

 VTuberの紹介記事も書かなきゃ。

 好きな動画だって紹介したい。

 私自身の好きなことだって書きたい。

 

 ……それでもまずは、何者でもなかった私が、"アバターを被ってみたたことで理解できた楽しさ"を伝える記事を、書いてみようと思います。

 

 

それではまた、近いうちに。

 

 

鷲見イスミでした。